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「テテレスタイー完済した」ヨハネ19:28-30

<直面しなければならないこと>

逃げていても、考えないようにしていても、いずれ必ず向き合わなくてはならないものがあります。一つは死です。そしてもう一つがイエス様です。根拠となる聖句を読みましょう。

❶ヘブライ9:27-28

人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

 死ぬ時も、イエス様の前で裁かれる時も、穏やかな気持ちでいられたらいいなぁと思います。私の友人の牧師が福音の正体を知ったという証を送ってくれました。その牧師の信仰を大きく変えたのが、去年54歳で天に召された松本由美子牧師です。 “がんが再発し、もう残されている時間は長くないことを伝えられたのですが、それを私に伝える彼女はキラキラと輝いていました。とても美しい笑顔をたたえ、「今の自分に心配なことは一つもない。全部神様がよくしてくださった。」と目の前で言い切る姿から、彼女が死に対して静かに勝利していることが伝わってきました。”

 でも死を伝えられた方はつらい。毎日泣いていた牧師に、訪問看護師に死は喜びだと伝えられたと喜びのメールが届いた。“「死は喜び?どういうことか聞かせて」と尋ねると、「それは、私を愛して下さるイエス様とお目にかかれるから。イエス様がいるから、死は喜びでしかないよ。私が今与えられているのは、怖いくらいの平安と喜びと感謝なの」という答えが返ってきました。”

 聖書によれば、私たちは神様との平和を持っています(ローマ5:1)。神様との平和。別の言葉で和解です。私たちは神様と仲良くなることができる。自分自身とも仲良くなることができる。最後は自分のことを大好きになって、自分の人生にも死ぬことにも穏やかに向き合えるように、喜ぶことさえ出来るようにイエス様がして下さるのです。私たちは信仰を通して、そんな救いを持っているのです。イエス様は十字架を通してその道を作って下さったのです。

<十字架の前に立つ>

 すべての人が、いつか十字架のイエス様とも向き合わなければならないんです。ヨハネはイエス様の十字架に立ち会った2種類の人たちがいたと書いています。4人の女性と4人のローマ兵です。4人の女性はイエス様の死をじっと見ていました。4人のローマ兵はイエス様の服をくじ引きで分け合っていました。

 西洋では、人間を2種類に分けるのが好きみたいです。

「世の中には二種類の人間がいる、できる人間と、批判する人間だ」(レーガン大統領) 「世の中には二種類の人間がいる。善人と悪人だ。」(ウッディ・アレン) 「世の中には二種類の人間がいる。与えることで自分も豊かになると知っている人と、奪うか奪われるかだと思っている人」(精神科医)

「人間は生まれながらに二種類ある。強い者と弱い者と。聖者と平凡な人間と。英雄とそれに畏怖する者と。」(遠藤周作;沈黙から) 「絶対に出世が出来ない人間には二種類ある。一つは言われたことが出来ない人。もう一つは言われたことしか出来ない人だ。」(アンドリュー・カーネギー)

「人生は2つの生き方しかない。奇跡などないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。」(アルベルト・アインシュタイン)

ゲーテに至っては、「大きく分ければ、人間は二種類しかいない。」と内容を言わずに結論付けています。こうやって2種類に分けて、あなたはどちらですか?と問いかけているのだと思います。

これは聖書から来ているのだと思います。聖書は私たちに2つの道を示して、あなたはどちらを選ぶかと問いかけていると示しています。

❷申命記11:26

 見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。

イエス様の十字架を見ていた女性たちも、イエス様の下着をくじ引きしていたローマ兵も、イエス様から逃げ出した弟子たちも、みんなどこかで、必ず十字架を通してイエス様と向き合わなければならなかった。そのイエス様は非難するためでもなく、罪を指摘するためでもなく、ただあなたを救うために向き合って下さる方です。

<「成し遂げられた」>

 福音書を見ると、イエス様は十字架の上で7つの言葉を話しました。そのうちの4つがヨハネの福音書に残されています。お母さんへの言葉。弟子への言葉。父なる神様への言葉。そして最後にすべての人への宣言です。でも話そうとしたのに、口が渇きすぎて、舌が上あごに張り付いて、イエス様は声が出なかった。それでも最後の力を振り絞って、酸っぱいぶどう酒で口を湿らせて「成し遂げられた」、これがテテレスタイという一言を残したのです。

 これは商売の言葉です。この間、ローマ時代の遺跡を発掘していたら、金貸しの事務所があった場所から、パピルスの束が出てきました。その一枚一枚に「テテレスタイ」と書かれていたそうです。「借金の返済が完了した」という意味です。

 この時、誰もこの言葉の意味は分からなかった。誰にも分かってもらえない言葉でした。でもイエス様はこの宣言を、多分、全世界の人たちに向けて残したのです。たった一言です。でもこの命を捨てた宣言が人間の歴史を変えて、人々の人生を変えてきました。

イエス様が命で返済した借金は、神様に対する借金なのか、罪を犯し続けてきたことが借金なのか分からないけれど、負い目、後悔、私たちの人生をみじめにするものです。死ぬこともそうです。聖書はそれを罪の奴隷と現わしています。罪の奴隷から解放するために、私たちの知らないところで、イエス様がすべて支払って下さった。頼んでもいないのに命で贖って下さった。私たちは奴隷のように縛られて生きる必要はなくなったと、死ぬことも絶望ではなくなって、死を前にしても、穏やかに感謝すらできるようになれて、私たちは神様とも自分自身とも和解することが出来る。永遠の滅びから解放される。そう宣言してくださったのです。

❹Ⅰコリント6:19―20

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

 私たちはこうしてイエス様の前にいる訳です。正直、イエス様から頂いた救いのすごさを分かっていないところもあると思います。自分の今の霊的な状態もよく分かっていないとも思います。でもイエス様と向き合ったなら、私たちの救いは完了していると信じる。こんな私たちを選んでくださったことを信じる。そしてこんな私のために十字架の苦しみを受けて下さった。それほど自分のことを愛して下さっていることを信じることが出来る。

私たちはもう罪の奴隷ではありません。自由人です。そのことを信じていきましょう。そして自由になった私たちの人生を何のために使いうのか、どの道を選ぶのか。もう一度問い直して今日から始めていきましょう。





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