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執筆者の写真日立キリストの教会

「捨てられた王」ヨハネ19:13-16

 イエス様の十字架の罪状は「ユダヤ人の王」でした。イスラエルの宗教家たちは、イエス様をローマ皇帝への反逆者に仕立て上げたのです。イエス様の裁判は、お前はユダヤ人の王なのかどうかでした。

 聖書を改めてみると、イスラエルの人たちは、イエス様をずっとイスラエルの王として期待してきたことが分かります。クリスマスの時、東の博士たちは、ユダヤ人の王として生まれた方を探しに来ました。

 ナタナエルという人が弟子になる時に、イエス様の事をイスラエルの王と呼び掛けました。イエス様がエルサレムに来た時は、人々がシュロの葉を道にしいて、ユダヤ人の王として迎えました。

 そして受難の中で、イエス様はローマ兵たちに、紫の服を着せられ、いばらの冠をかぶらされ、「ユダヤの王様、万歳」とあざけられました。「ユダヤ人の王なら自分を救ってみろ」とあざけられました。イエス様はユダヤの王として裁かれたのです。

 聖書はイエス様は王であると示しています。でも王については身近じゃないですね。今国際連合加盟国で君主制をとっているのは29か国だそうです。人数は31名。その中には私たちの陛下も含まれ、バチカン市国のローマ教皇も含まれています。直接統治している君主は少なくなっていて、王様はいらないんじゃないかと廃止しようという意見もずっとあるそうです。

 聖書はイエス様は王であると示しています。でも当時の人々はイエス様を拒絶しました。

ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは「わたしたちには皇帝のほかに王はありません」と答えたんです。ピラトがイエス様を釈放しようとした時に、イスラエル人たちはイエス様ではなくて、強盗のバラバを選んだんです。ヨハネはイエス様が人々から拒絶され捨てられた王だと示しています。

❶ヨハネ1:10-11(新改訳2017)

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。

 イエス様の十字架を見ると、人間の罪が何なのかが分かります。私たちを造られ、愛して下さっている神様を拒絶することです。救われるとは何かを教えているのがヨハネ17:3です。

❷ヨハネ17:3

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

 ユダヤ人は多くの迫害を受けてきました。なぜユダヤ人が苦しみを受けてきたのかという本を読みました。イエス様を十字架に付けたからだそうです。その報いを受けるべきだという考え方があるのだそうです。

でも、もし私が2000年前のイエス様の十字架を目撃していたら、イエス様を神の子とも救い主とも信じられなかっただろうなと思います。私もイエス様を拒絶して、バラバをと叫んでいただろうと思います。見ることの出来ないイエス様だからこそ信じることができたのだと分かります。これは聖霊の恵みです。

 私たちに拒絶され、捨てられる事。これが神様のご計画だったと聖書は教えています。

❸イザヤ53:10-12(新改訳2017)

しかし、彼を砕いて病を負わせることは【主】のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」

 この間、ご家族を亡くした方と話をしました。家族にクリスチャンがいる。でもその亡くなった方はクリスチャンじゃなかった。「今、天国にいるのでしょうか?」と聞かれました。その時、私はちゃんと答えられませんでした。電話を切った後、とても落ち込みました。そして答えを祈り求めました。今、私はこのイザヤ53:12に希望を持っています。背いた者たちのためにとりなしをして下さる。最後の審判の前に、もう一度イエス様の前に立って、信仰を証する機会を与えてくれるのではないかと学び始めました。

 イエス様は、私たち人間はイエス様を受け入れない。それを知っておられたですね。だから私たちがイエス様を拒絶しても救われる道を造られたのです。それが信仰によって救われる道です。それしかなかったのです。そこまでしないと、人間を救うことは出来ないのです。そこまでしてイエス様は私たちを救いたいと願って下さっているのです。

 ヨハネはイエス様を捨てられた王として福音書を書きました。そして同じヨハネが書いた黙示録では、この世界を新しく治める王としてイエス様を証しています。イエス様がどれほど愛の方であるか、私たちは聖書を通して知っています。体験を通しても知っています。そのイエス様が王として治める新しい世界はどれほど素晴らしいだろうと思います。

私たちは捨てられた王であるイエス様を、私たちの王として信じ、再臨を待ち望みたいと思います。イエス様を王として迎えるとは、イエス様のご支配に服するということです。私たちの悩みや人生に、イエス様のご支配がある。それが神の国です。私たちが王であるイエス様の国民となる時に、私たちの生活が神の国になるのです。「イエス様、この問題をあなたに任せます。委ねます。」そう祈りながら、互いに愛し合うという務めを果たしていきましょう。




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