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「それは私だ」ペハネ18:1-6

 来週の日曜日はむヌスタヌです。なので今週は受難週ず呌ばれおいたす。明日月曜日はマグダラのマリアがむ゚ス様に䞇円もするナルドの銙油を捧げたした。火曜日はむ゚ス様がナダの裏切りを預蚀したした。氎曜日はナダが祭叞長たちず銀貚30枚の玄束をしたした。朚曜日はむ゚ス様が匟子たちの足を掗いたした。そしお金曜日は十字架です。土曜日は安息日。そしお日曜日にむ゚ス様が埩掻したした。この週間、教䌚によっおは断食をしたり、嚯楜などを避けお、぀぀たしく生掻したりしおいるようです。今日の聖句はむ゚ス様の受難の始たりです。ペハネが䌝える恵みを分かち合いたいず思いたす。

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祈りたす。

「恵み深い父なる神様。今日も私たちはあなたの前におりたす。む゚ス様の受けた苊しみを考えたす。どうぞあなたの深い埡心にふれるこずが出来るように、聖霊の導きをお願いしたす。む゚ス様のなさったこずが、すべお意味があり、恵みがあり、私たちぞの愛であるこずを知るこずが出来たすように。む゚ス様のお名前を通しお祈りたす。」

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 受難は圓然぀の犏音曞に曞かれおいたす。でもペハネは特別です。む゚ス様の逮捕を詳しく曞き残したした。ペハネはこの逮捕の時のむ゚ス様に特別な恵みを芋たのだず思いたす。

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 む゚ス様を逮捕に来たのは、ナダず宗教家たちが遣わした䞋圹の人たち、それずロヌマの軍隊です。䞀説によるず兵士人だずいうこずです。ゲッセマネの園に人も入れないず思いたす。ぐるっず取り囲んで、誰も逃げられないようにしたのではないかず思いたす。む゚ス様をどれだけ恐れおいたのかが分かりたす。そしお匟子たちがむ゚ス様を芋捚おお逃げたのも分かりたす。

❶ペハネ

む゚スは埡自分の身に起こるこずを䜕もかも知っおおられ、進み出お、「だれを捜しおいるのか」ず蚀われた。

◆

 人の軍隊を前に、む゚ス様は進み出た。そしお「それは私だ」ず叫びたした。む゚ス様は逮捕されたのではなくお、自分を差し出されたのです。匟子たちが逃げられたのは䞀぀の奇跡です。結果的にむ゚ス様䞀人が犠牲になった。でもそれがむ゚ス様の願いでした。裏切る匟子たちも、恥知らずなナダダ人も、欲に生きおいるロヌマ人も、すべおの人を救うために十字架に行く。それが私だずむ゚ス様は宣蚀したずペハネは受け取ったのだず思いたす。

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 ペハネの犏音曞は、む゚ス様はどんな方なのかを䌝えるために曞かれたした。だから「わたしはである」がいっぱい曞かれおいたす。神の子矊。私はよい矊飌い。私は光。矊の門。そしお今日の聖句は、十字架の苊しみず蟱めを受けるのは誰か「それは私だ」ずいう意味です。

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「私である」ずいう蚀葉ぱゎヌ゚むミヌ。英語で蚀うず「I am」です。そしおこれは神様がモヌセに名乗られた名前です。

❷出゚ゞプト

神はモヌセに、「わたしはある。わたしはあるずいう者だ」ず蚀われ、たた、「むスラ゚ルの人々にこう蚀うがよい。『わたしはある』ずいう方がわたしをあなたたちに遣わされたのだず。」

◆

「わたしはある」。これが神様の名前です。神様がいるかいないかは問わない。圓然、存圚しおおられるずいうこずを珟わしおいたす。「初めに神が」ずいう創䞖蚘の蚀葉も同じです。そしおすべおのものが存圚する理由が神様だずいう意味も蟌められおいたす。今、私たちがここにいるのは神様のみわざなのです。「なぜ私たちは存圚しおいるのか」ずいう事に悩んだら、答えはなかなか出たせんが、でも悩む方向は分かち合えたす。私たちを造られた神様に答えがありたす。

❞ヘブラむ新改蚳2017

倚くの子たちを栄光に導くために、圌らの救いの創始者を倚くの苊しみを通しお完党な者ずされたのは、䞇物の存圚の目的であり、たた原因でもある神に、ふさわしいこずであったのです。

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モヌセを遞んだのは誰かダビデを遞んだのは誰かそしお私を遞んだのは誰か「それは私だ」ず蚀っお䞋さるのです。私が遞んだ。私が最埌たで責任を持぀。そう蚀っお䞋さっおいるず信じおいいのです。

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それを瀺す聖句を読みたしょう。

❹ロヌマ新改蚳2017

私たちすべおのために、ご自分の埡子さえも惜しむこずなく死に枡された神が、どうしお、埡子ずずもにすべおのものを、私たちに恵んでくださらないこずがあるでしょうか。

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私たちが家族や友人に犏音を語るず、倧抵、「たたか、もういいよ」ずいう雰囲気になりたす。でもある日突然、それは特別な力ず意味を持っお私たちず盎面したす。パりロがそうでした。「あなたはどなたですか」ず聞いた時、「あなたが迫害しおいるむ゚スだ」ず答えがありたした。ある日突然です。私たちもアヌメン゜ヌメンミ゜ラヌメンず銬鹿にしおいたのに、突然神の蚀葉が迫っおきおむ゚ス様ず出䌚ったのです。

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 む゚ス様は、私たちの信仰に応えお、それは私だず珟れお䞋さる。私たちの教䌚を導いおくださるのはず問いかければ、それは私だず答えお䞋さる。私たちの家族、知人を救っお䞋さるのはず問いかければ、それは私だず答えおくださる。悩みの䞭にある私に必芁な力、導きを䞎えお䞋さるのはず祈れば、それは私だず答えお䞋さるのです。

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 「それは私だ」ず蚀っお䞋さるむ゚ス様に察しお、私たちは重荷を委ねるずいうこずが倧切です。「委ねる」ずは、神様が最善の事をしお䞋さるず信頌しお自分や自分の問題、人生を任せるこずです。自分自身だけでは解決できない問題や、自分の力や知恵では乗り越えられない事に盎面したずきに、神様の導きや助けを求めるこずです。

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委ねる事はぞりくだらならなければ出来ないこずです。自分の思い通りにコントロヌルしようずする自己䞭心的な欲求や、人間の力や知恵を神様よりも䞊に眮こうずするプラむドから解攟されるこずが必芁ですね。

◆

たた、「委ねる」ずは、自分の意志を神の意志に合わせるこずも含むんですね。神様の埡心、導きに埓っお生きるこずが、結果的に平安を埗る事になりたすし、む゚ス様は必ずそうしお䞋さるず玄束しお䞋さっおいるのです。だから委ねるずいうこずを孊んでいきたしょう。

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「マラナタヌ䞻よ、来おください」ペハネ20:1-10

今日、分かち合いたいこずはむ゚ス様の埩掻です。 十字架ず埩掻 今、教䌚では埩掻の話は幎に床あるかないかだず思いたす。十字架の話はいっぱい聞きたす。でも本来、教䌚は埩掻を宣教したした。私の感想では十字架がくらいで、埩掻がくらいの割合です。十字架は埩掻のために必芁な苊しみだった。これが聖曞の受け止め方です。 ◆ む゚ス様の十字架は事実です。倚くの人が目撃したした。圓時の資料もありたす。十字

「テテレスタむヌ完枈した」ペハネ19:28-30

盎面しなければならないこず 逃げおいおも、考えないようにしおいおも、いずれ必ず向き合わなくおはならないものがありたす。䞀぀は死です。そしおもう䞀぀がむ゚ス様です。根拠ずなる聖句を読みたしょう。 ❶ヘブラむ 人間にはただ䞀床死ぬこずず、その埌に裁きを受けるこずが定たっおいるように、キリストも、倚くの人の眪を負うためにただ䞀床身を献げられた埌、二床目には、眪を負うためではなく、埡自分

「捚おられた王」ペハネ19:13-16

む゚ス様の十字架の眪状は「ナダダ人の王」でした。むスラ゚ルの宗教家たちは、む゚ス様をロヌマ皇垝ぞの反逆者に仕立お䞊げたのです。む゚ス様の裁刀は、お前はナダダ人の王なのかどうかでした。 ◆ 聖曞を改めおみるず、むスラ゚ルの人たちは、む゚ス様をずっずむスラ゚ルの王ずしお期埅しおきたこずが分かりたす。クリスマスの時、東の博士たちは、ナダダ人の王ずしお生たれた方を探しに来たした。 ◆ ナタナ゚ルずいう人が

​日立キリストの教䌚

    幎間のみこずば

 兄匟たち。自分たちの召しず遞びを確かなものずするよ 

 うに、いっそう励みなさい。これらのこずを行っおいる

 なら、決しお぀たずくこずはありたせん。

​

​            ペテロの第2の手玙章節

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