「へりくだること」Ⅰコリント4:11-14
2022.2.6
今日の聖句は、派閥を作って、この世の成功者のように振る舞っているコリント教会の人たちに対する強烈な当てつけです。この間、妻と話したことです。良いことは努力しないといけない。悪いことは努力しなくてもできてしまうものです。だから私たちがイエス様に従うためには努力が大切です。その努力とはへりくだる事と、聖霊の助けを求める事です。
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戒め、忠告
聖書は、神様は私たちを戒めることがあると示しています。
❶ヘブライ12:5-6
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
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神様の懲らしめなんて聞くと恐くなってしまいます。でも大事なことを分かち合いたいと思います。神様は悪いことを与えて私たちを指導されることはないということです。悪い事は起こります。でもそれは神様が起こしている訳じゃない。人の悪意か自業自得です。でも起こってしまったことを通して神様は戒めや忠告を与えてくれる方なのです。
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それは何故か?
❷ヘブライ12:10(新改訳)
霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
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ヤコブもモーセもダビデも、試練を通して自我が砕かれて、最後は神様への信仰をはっきりと固く持つことが出来たのです。父親が子供に強くたくましく生きていけるように必要なことを伝えるように、神様は生きていくのに必要なものを試練を通して私たちに与えて下さるのです。だから試練の先には祝福があると考えていい。その時に大切なのはへりくだる事です。
❸Ⅰペテロ5:5-6(新改訳)
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
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水とか神様の祝福とかは低い方に流れていくものです。パウロはコリント教会に戒めと訓戒を与えようとしました。コリント教会の兄弟姉妹たちがへりくだって、低くなって、神様からの祝福を受ける事ができるためでした。私たちにも高慢という落とし穴があります。へりくだるために必要なことを分かち合っていきたいと思います。
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へりくだるためにパウロが示していることの一つ目は7節です。私たちの持っているすべてのものは神様からいただいたという事です。コリント教会には奇蹟とか癒しとか異言とか預言とか、びっくりするような聖霊の賜物が豊かに与えられていたのだと思います。そんな力を持っていることを誇って自慢したのでしょう。派手な賜物を持っていない人を見下していたのかも知れません。
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でもそれは自分で獲得したものではないのです。コリント教会は勘違いをしていた。肉の目で見るなら、自分のものは自分が頑張って手に入れたものです。でも霊の目で見るなら、私たちが持っていると思っているものはすべて神様から恵みとして与えられたものと捉えてもいい。バプテスマのヨハネはこういう事を言いました。
❹ヨハネ3:27
ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。」
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ヨブは「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ1:21)と言ったと書かれています。モノに囚われない生き方というだけではなく、すべては神様から与えられたものという信仰を持つことが出来たら楽になるし、傲慢になれないと思います。
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二つ目は自分の分をわきまえるということです。
❺Ⅰコリント4:5-6
ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。
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ここで示されている事は、私たちには人を裁く権限は与えられていないということです。私たちを裁くのは神様だけ。どんなに力があっても、魅力があっても、どれだけ人に認められていようと、私たちは誰の事も自分の事さえ裁いてはいけないのです。それは神様の領分を犯すことです。コリント教会の問題は、神様に対しての思い上がり、傲慢なのだと分かります。
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パウロはこのコリント教会の傲慢を徹底的に打ち砕こうとしています。それは神様と私たちの一番の問題が傲慢だからです。信仰の問題は不信仰かと思いますが、たぶんそうじゃない。傲慢です。それは兄弟姉妹とどう接するかではっきりと分かるものなのです。だから一番小さい者にしたことは私にしたこと、とイエス様が言われたのです。
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傲慢は誰でも陥ります。パウロはその都度学べばいいと示しました。大事なのは神様が私たちを訓戒する時にへりくだって従う事です。
❻Ⅱテモテ3:16―17
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
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勧告・嘆願
今日の聖句でパウロは最後に勧告を書きました(16節)。「私に倣う者になりなさい」です。今日の聖句11-13はパウロの日常でした。しっかり考えたい事は、これがイエス様の生き方だということです。パウロはイエス様の生き方に倣ったのです。そしてイエス様に倣っている私に倣ってほしいと言っています。つまりイエス様の生き方に倣うことを勧めたのです。パウロたちは各教会を巡回して聖書について知識を教えたのではなく、主にある生き方を教えたのです。私たちも生き方を学びましょう。そして聖霊の助けを求めていきましょう。
祈り
主よ。私たちを傲慢からお守りください。そして失敗したら、いつでもあなたの前にへりくだることができるよう助けて下さい。そして私たちがイエス様に倣う弟子となれますよう、お導き下さい。
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