教会を壊す簡単な方法は派閥を作る事です。教会の合併で失敗する原因が「誰につくか」という事。コリント教会の霊的な問題も派閥。「コリント教会はパウロのおかげで発展できた」とか「アポロの地道な働きのおかげでここまで来られた」なんて話があったのだと思います。そのうち「パウロは教会を作っただけ。後はほっぽり投げで無責任な奴」とか、「アポロは地味でパウロのような勢いも情熱もない」とか悪口も出てきたのでしょう。それがパウロ派となり、アポロ派となり、お互い反目し合うことになったようです。それで「お前たちはこの教会にはいらない。出ていけ」と内部紛争にまでなっていたようです。
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その後は大体想像がつきます。自分たちの派閥の仲間を増やして、数の力で教会をコントロールしようとした。教会が2つの大きな派閥と一つの小さな派閥とどこにも所属しない人たちと4つに分かれてしまっていたようです。
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その上コリント教会のまずいことは、そんな状態なのに誇り高ぶっていたということです。自分たちの主義主張が正しい。賛同者もこんなにいる。これはキリストから与えられたこの世を渡っていく知恵だと言ったか言わなかったか。離合集散を繰り返す政治団体とあまり変わらない状態でした。これは哲学と民主主義が生まれたギリシャだったからなのかなぁと想像したりしています。
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好き嫌い、主義主張が違えば自然とこうなってしまうのが人間の現実です。政治でも会社でも学校でもママ友でも派閥は生まれます。でも教会ってそういうものじゃないだろうと心を痛めた人たちがパウロに相談した返事がこの第一コリントの手紙なのです。
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パウロはそんな状態のコリント教会の兄弟姉妹を「肉の人、赤ん坊、ただの人」と割とはっきり指摘しています。これを読んだコリント教会の人たちは怒ったんじゃないかと思います。あなたがたは自分が知恵ある者だと誇っているけれど、大事なことを何も分かっていない。虚心坦懐に聞いてほしいというパウロのメッセージです。パウロが伝えた大事なことを分かち合いたいと思います。
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とは言いますが、教会にも派閥は生まれ、しょうもない肉の争いは起こります。伝道者の集まりでも、あいつが出るなら俺は出ない、なんて声を聞くこともあるのです。今世界中にキリスト教の教団がいくつあるか分かりませんが、ほとんどがケンカ別れの分裂です。偉そうなことを言えたものじゃないのです。でもだからこそ、教会こそがこのメッセージを聞かなくてはならないと思います。
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一つ目は「人を見るな。神を見る」ということです。霊の人と肉の人の違いは、目に見えない神様を見ることができるかどうかです。神様の助け、導き、恵みを見ることが出来るか。この世界を神様が治めていると認めることが出来るか。ここが大きな違いです。
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コリント教会の派閥の言葉、私は「パウロにつく、アポロにつく」はギリシャ語だと「自分はパウロのもの、自分はアポロのもの」という怪しい表現になっています。私たちはイエス様のものですが、どうやらイエス様よりもパウロやアポロの方が上になってしまったようです。目に見えないイエス様より、パウロやアポロの方が身近に感じられて分かりやすかったのでしょう。イエス様の代わりみたいに思っていたのかも知れません。コリント教会の人たちは「成長させて下さった神」が見えなかったのですね。
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摂理という言葉があります。この世界のすべてを造られた神様が、すべてのものを守り、支配し、御心のために導き、用いられることです。難しいのでそれを示している聖句を読みましょう。
❶ローマ8:28
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
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悲しい事、苦しい事が起こります。でもその時、神様は私たちを突き放したりしていない。ずっと寄りそってくれている。それどころか私たちを背負ってくれている。そしてただの苦しみ、悲しみで終わらないようマイナスをプラスに変えて下さる。私は摂理をそう捉えています。私たちはみんなその事を知っているのです。知ってはいても辛いものは辛い。聖霊なる神様は知っていることが私たちの信仰になり確信になり、希望となって生きる力になるように助けてくれる。成長させてくださるのは神。この神様を信仰の目で見ることを励まし合っていきましょう。
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二つ目は私たちは神の畑、神の建物という事です。
パウロはクリスチャンの成長を農業や建築業で考えていたのだと思います。不思議なのですが、イエス様もそういうたとえをたくさんしました。農業や建設業は私たちの成長に通じるものがあるのだと思います。
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共通しているのは、手間暇がかかるということです。農業の土作り、建物の土台作りが一番大切らしいです。手を抜いてはダメ。時間もかかる。そしてそれからも毎日手間暇をかけて育て、建て上げていく。人の成長も同じです。ゆっくり手間暇をかけて、一番大事な土台を作ってあげる。近道や省略は出来ないものです。人間なら愛情が土台でしょう。クリスチャンならやっぱり神様からの愛情であり、イエス様への信頼が土台になります。
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パウロはその上、災害にも耐えられる頑丈な建物を作るイメージで教会のために奉仕していたのです。ただ洗礼を受ければいいじゃない。火のような試練の時にも耐え、最後の最後まで信仰を持ち続けられるクリスチャンを、教会を建て上げようと努力したのです。苦しみや悩みだけじゃない。人につまずく時も、人を見て教会を去るのではなく、そこに神様を見られる信仰を養いたい。それがパウロの奉仕。パウロはそういう試練の時が必ず来ることを知っていたからです。だから出来るだけ備えておきたかったのでしょう。
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そんな奉仕はパウロ一人では完成できないものです。パウロは土台だけを作りました。後はたくさんの人の協力と助けを受けて完成するのです。パウロとアポロはそういう思いで協力していたのです。なのにコリント教会の人たちは勝手に派閥を作って、賛同者をたくさん作って、自分たちの影響力が大きくなって得意になっているかもしれないけれど、この世ではそれが実際の大きな力になるのかも知れないけれど、それはキリストの体を傷つける事、神の建物を弱くすることだと分かっていなかったのです。何故なら肉の人で、赤ん坊だからです。
❷Ⅰコリント3:16-17
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
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教会の務めは一人の人を神の神殿として建て上げる事だと分かります。議論で相手を打ち負かしたりしても何の益もないのです。議論に負けてもいい。愚か者扱いされてもいい。兄弟姉妹の信仰のために仕える者になりたいものです。だからパウロはコリント教会のクリスチャンに愚か者なりなさいと勧めたのです。
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試練の時にも耐えられる人格と信仰を建て上げる事。それがどれ程大変なことか分かります。とても牧師一人で出来る事ではない。多くの兄弟姉妹との関わりと祈りが必要です。そのために何が必要か、祈り求めながら挑戦していきたいと思います。このコリント書を通して、頑丈な試練にも耐えられる人格と信仰を建て上げる。それが私たちの目標です。
1.聖書を読みましょう。神様の心を知る大切なことです。
2.祈り合える信仰の仲間を持ちましょう。その人のために毎日祈りましょう。
3.感謝の訓練。小さなことを感謝してみましょう。
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❸ヘブライ12:2(新改訳)
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
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