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執筆者の写真日立キリストの教会

2022.2.27「体を大切に」Ⅰコリント6:12-20

今日は私たちの体について分かち合っていきたいと思います。私たちは自分の体とどう付き合っていったらいいのか?自分の体についてはいろいろ悩みもあるし、困ったことも多いものです。コンプレックスを持っているし、体のせいで不自由になって人生の重荷だと感じている人もいるかも知れません。でも体の苦しみを通して学ぶことも多い。委ねることや忍耐など体を通して信仰を養う機会は多いのだと思います。

 私たちの体はやがてチリに帰ります。それでも私たちは消えてしまう訳ではない。私たちの本質は体にあるのではないのです。だからと言って体を適当に扱っていいかというとそうではない。神様は私たちの体をどうデザインされているのかを分かち合いたいと思います。

 きっかけはコリント教会の問題です。具体的には風俗通いをしているクリスチャンがいた事です。それって証になるのかい?と誰かがそれをパウロに相談したようです。

最近、キリスト教は寛容さがないという記事を読みました。ひどいものでした。キリスト教の心根の狭さ、攻撃性、いやらしさ、みにくさを指摘していました。腹が立ったのですが、歴史的にはひどいこともいっぱいありましたし、私も高校時代にほぼ同じ内容の作文を書いて茨城県で表彰してもらっていました。

 酒を飲んではならない、たばこもダメ。あれもこれもダメ。ダンスもダメ。キリスト教というと堅苦しいイメージがあると思いますが、そのほとんどは人間が作ったものです。ある青年が言ったことです。「洗礼を考えているのですが、ちょっと待ってください。洗礼を受ける前にいっぱい遊んでおきたいんです」。パウロはイエス様の恵みを知ったら、もうこれまでの事はチリ・アクタのようなものと言いました。私たちは恵みを知る必要がありますね。


じゃ、聖書は何を禁止しているかを確認したいと思います。

❶使徒15:28-29

聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。

簡単に言うと、偶像礼拝と不品行を避けるようにということです(この「避ける」という言葉は「一目散に逃げだす」という意味です)。この二つは同じ意味のことだと分かりました。どちらも神様に対して誠実であるという事です。ではなぜ不品行がダメなのか?ある牧師は、体の関係では愛は分からない。何故なら性愛は愛の一部だけだから、という趣旨の事を話していました。愛は一人の人とちゃんと向き合って、いろいろなステージを乗り越えて、一生をかけて学び育てていくもの。年を取っても愛は学べるし、大事な人を失ってからも愛は学べる。そうやって地道に育てた愛から私たちは人生の厳しさに負けない喜びや平安を与えられるのです。

 パウロの時代、風俗に通う事は悪い事ではなかったようです。性の解放はよいことのように考えられていたと何かで読みました。自分の体なのだから、好きなようにしていいだろうという意見もあったようです。コリント教会のクリスチャンたちは福音によって自由にされた。「私にはすべてのことが許されている」と言い張っていたようです。「食欲は体のために必要なもの。悪いものではない。同じように性欲も否定されるものではない」とも言っていたようです。ものは言いようですよね。こういうのを屁理屈と言うのです。自分の都合のいいように福音も聖書も解釈していた。私もよくしてしまいます。気を付けます。それに対してパウロはいやいや愛とはね、と説教をしなかった。「あなたがたは勘違いをしている」と私たちの体のことを伝えたのです。

 勘違いの一つは私たちの体は私たちのものではない、ということです。神様はイエス様という犠牲を払って私たちを悪魔から買い取ってくださったと聖書は教えていますが、この体も買い取られているのです。聖書は、人間は霊と魂と体の3つの部分で出来ていると示しています。どれが一番大切かは言えないのです。全部が私たちであり、神様はこの体も含めて私たちを買い取って下さったのです。

 神様はこの体を聖霊が住まわれる神殿として用いて下さっているのです。簡単に言っていますが、これは本当は重い言葉です。旧約時代の神殿には至聖所という神様がおられる部屋がありました。この部屋は大祭司が1年に一回しか入る事が出来なかったのです。想像を絶する神聖な場所。イエス様が十字架で死なれた時、神殿の幕が裂けたと書かれていますが、至聖所を仕切っていたこの幕の厚さは60センチもあったそうです。そんな神聖な場所として私たちの体が選ばれているとパウロは教えたのです。

 ある人が私たちの教会に来てショックを受けていたことがあります。それは愛さん会の時に、この主の食卓で使っているテーブルを食事を置くのに使ったからです。その人の教会では絶対にありえない事だそうです。聖さん台とか、説教台は一般の信徒は触る事が出来ないそうです。それはどうかと思いますが、神聖なものとはその位気持ちがこもるものだと思います。

 どんどん衰えていっていつかは無くなるこの体です。その私たちの体を神様は最も神聖なものとして選んでくださったのです。それは何故か?

❷フィリピ3:21

キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

 この聖句は難しいですね。でも私たちはイエス様と同じ栄光の体をもって復活するのです。神様はこの体も贖って下さる。私たちは完全な体で復活することが約束されているのです。

 もう一つの勘違いは、体の交わりを持つことはその人と一つになるということです。体だけの軽い関係というのはないのです。体も心も霊においても一体になってしまう。重いですね。神様の目から見たら本当に重い事なのです。不品行とは聖霊のおられる聖所を汚すことなんですね。キリストと一体になっているのに、他のものと一体になってしまうということなのです。私たちの体にはそういう神様のデザインがあるのです。自分の体を大事にするということは神様との絆を大事にするということなのです。

❸ローマ12:1

兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

体がどうでもよかったら心だけ信仰だけ捧げればいい訳です。でも神様は私たちが体を捧げる事を求めておられるのです。体を捧げるとは、具体的には行動を神様に捧げるということです。この世では、私たちは心や祈りやこの体を通して神様に仕える訳です。私たちの献身や感謝や信頼はどうやって表すのかと言ったら行動です。礼拝のためにお花を生ける。主のために聖餐の準備をする。兄弟姉妹に声をかける。手紙を書く。感謝の賛美を捧げる。私たちはこの体を用いて神様に仕えているのです。この重い、自由にならない体をひきずって神様に仕える。これが私たちの信仰生活です。

 北京オリンピックが終わりました。やっぱりフィギアスケートのドーピング問題を考えました。彼らはみんな金メダルのために、国のためにものすごい努力をしてきた人たちばかりです。でも少女たちが無理なダイエットをして、薬まで使って求める栄光ではない。スケートです。スポーツです。体を人生を壊してまで求めるものではない。神様は私たちがこの体で神様の栄光を現わすことを求めておられるのですが、それは私たちの幸せにもなることです。金メダルじゃなくてもいい。銅メダルでも、参加するだけでもいい。スキージャンプの高梨さんが失格になりましたが、その時駆け寄って支えた選手たちのあの行動の方が神様の栄光だと思いました。

 神様の栄光を現わす。そのために体を大切にしましょう。やがてイエス様と同じに変えられる聖霊がおられる大切な体です。そしてこの体をつかって神様の素晴らしさを証していきましょう。具体的には何をすればいいのか?何ができるのか?祈り求めながら信仰生活を続けていきましょう。


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